こんばんは内弁慶サラリーマンなんくるナイトです。

今日は自分の事についてちょっとお話ししてみようと思います。

以前にも軽く触れましたが私には琉球の血が流れております。

ただ、沖縄で生活したのは36年の人生でわずか4年間だけ。

後は各地を転々、学生時代だけでも引越しは全部で4回しました。

多いと思われる方、少ないと思われる方それぞれだと思いますが、

幼少時代の引越=転校というのは人生を左右する一大イベントなのです。

内弁慶な私がそんな状況に直面した時の心の変遷を時代を追って書いてみようと思います。

 

<小学校に上がるまで(東京時代)>

私は二人兄弟の次男としてこの世に生を受けましたが、

お調子者の兄と比べると私はどちらかというと、、というか明らかに人見知りの性格。

赤ちゃん時代は母親以外の人間に抱かれる事をとにかく拒否していたようで、

ひとたび親戚や知らない人(実際は知人なんでしょうが。。。)に抱っこされると、

この世の終わりのように泣き叫び、全く人になつくという事がなかったようです。

実際、父親にも心を許さなかったみたいなので、私の人見知り根性も相当のものですね。。。

当然親戚一同からの呼び名は「泣き虫◯◯(名前)!」

泣き虫エピソードとしてはこんな事があったようです。

3歳のころに母が買い物にでかけ、兄と二人でお留守番をしていました。

私「ねぇ、お母さんはどこにいったの!?」

兄「◯◯デパートだよ」※家から400mほど離れた近所の百貨店

私「いつ帰ってくるの?」

兄「知らないよ。買い物終わったら帰ってくるだろ。」

私「なんで僕たちを置いていっちゃったの?」

兄「お留守番できるか?って聞かれて大丈夫って言ったじゃないかよ。」

(30分後)トイレに入っている兄に向って

私「ねぇお母さんまだ帰ってこないよ。」

兄「まだ、行ってから1時間くらいだからもうちょいかかるよ。」

私「お母さんに会いたいよ」

兄「帰ってきたら会えるから大丈夫だよ」

私「帰ってこなかったらどうするの?」

兄「知らねえよ!」

「・・・・」

兄「おいっ◯◯(名前)!」

「・・・・」

兄がトイレから出て来たときは私は既に家を飛び出していました。

その後、私は一人で400m離れたデパートへ歩いていき、1階から母を探し回ります。

それでも、デパートを3歳の子供が探しても簡単に見つかるわけもなく、

途方に暮れギャーギャー泣き叫んでいる私を近くのおばちゃんが迷子センターまで連れて行ってくれ、

最終的に無事母と再会を果たすことができたのでした。

すれ違いで母が先に家に帰っていたり、途中で事故に遭う可能性があった事を思うと、

なぜそのように大胆な行動に出れたのかは今でも説明が付きません。

人見知りで泣き虫な私にとっては母から離れるという事がそれほどの出来事だったという事でしょうか。

 

ただ、幼稚園の年長まで生活した場所は生まれた直後から生活していた場所で、

周りの友達にも恵まれた事もあり、物心がついた後の記憶でも

ほとんど自分の人見知りを意識することはなかったような気がします。

 

<初めての転校(沖縄時代)>

さぁここで一度目の転機を迎えます。

幼稚園を卒業した後、故郷沖縄への引越しが決まりました。

私は生まれてすぐに東京へ引越しをしてるので実質沖縄に住むのは初めて。

言葉も完全に標準語です。

 

幸いにも小学校は1年生の入学式からスタートとなったので、

周りのみんなと一緒にスタートすることが出来ましたが、いかんせん言葉だけはどうにもなりません。

ご存知の人もいるかもしれませんが、沖縄は方言が結構強く、アクセントも全然違います。

「ふら~や」(バカだな~)、「わったー」(俺たち)「あがー!」(痛っ)

全然理解できません。。。(汗)

その上、みんな、興味津々で東京の事を聞いてきます。

私の話す標準語をバカにします。

ガキ大将的な子には「お前ケンカ強いの?ケンカの勝負するか?」とつつかれます。

 

私は一瞬で転校生扱いとなり、自分の人見知り根性を否が応にも思い知らされることとなりました。

自分はどうしたらいいのか?

どうしたらこの中でやっていけるのか?

初めて経験する状況に不安と恐怖しかありません。。。

 

この状況を打破するために私が考えたのは、、、「ガキ大将になるしかない!」という事でした。

幸いにも運動神経には自信があったので、

まずは体育の授業で人より目立つ。

ちょっと周りの見た目が変わる。

そして勝手な思い込みかもしれませんが、運動が出来る奴はケンカも強い。

ケンカが強ければ周りに人が集まる。

これだ!と思いました。

 

私の作戦は見事功を奏し、時間が経つにつれ状況は少しずつ変わっていき、

いつの間にかクラスのガキ大将的なポジションになっていました。

お陰様で1年生は無事クラスの信頼を得ることができ、平穏に過ごすことが出来ました。

 

ただ問題は、、、2年生のクラス替えです。

当然、私の名前は「東京からきたケンカの強いやつ」として他のクラスの人たちにも知れ渡っており、

他クラスのガキ大将たちの目の敵になっていました。

それに気づかなかった私は新しいクラスに行って、その事に気づかされます。

なぜかというと学年で一番怖いという評判のA君と同じクラスになってしまったのです。。。

さあピンチです!

ケンカもした事もなく、口先だけで1年間やってきた自分は虚像のガキ大将像を作ってきました。

当然周りはA君対私どっちがこのクラスの中心になるのか、、、興味津々です。

本来人見知りの私は自分からA君に近づくことはなかなかできません。

一触即発の雰囲気の中、そのX dayは新学期すぐにやってきました。

A君「おい、おまえケンカ強いらしいな」

私 「いやそんな事ない」

A君「分かってるんだよ。勝負しようや」

私 「何の?」

A君「これだよ(拳を握ってる)」

私 「何で?」

A君「このクラスの一番を決めるためだよ」

私 「誰が1番でもいいじゃん」

心臓はバクバクです。

そうやってのらりくらりとかわし続けてきましたが、さすがに逃げられないとこまで来てしまいました。

その頃には家にまで「逃げてんのか?」と電話がかかってくるようになる始末。

ある日、授業が終わって教室を出ようとしたドアを足でふさがれ、

A君「おい、この後校舎の裏に来いや」

私 「今日は用事があるから帰る」

A君「いいから来いや」

私 「帰らなきゃいけないんだよ」

A君「いいから来いって言ってんだろ!」

私 「・・・・」

A君「恐いのか?」

はい、恐いです。

けどもうこれ以上この緊張感に耐えることは出来ません。

覚悟を決めた私は

「うるせぇっ!なんで俺がお前の言う事聞かなきゃいけないんだよっ!どけやっ!」

クラス中に声が響き渡りました。

もう後には引けません。どうにでもなれの思いです。

ただ、事態は予想外の展開へ進みます。

 

殴りかかってくると思ったA君の顔が明らかに動揺してます。

ドアを塞いでいた足がスーッと下りていきます。

そして、私はドキドキの中、ドアを通り家に帰って行きました。

 

その夜は興奮でなかなか寝られません。

明日はどうなるんだろうと不安も止まりません。

 

翌日、教室へ入った私は早速A君に声をかけられました。

私 「(やっぱ来るよな~)」

A君「、、、おい、お前やっぱ強いんだな」

私 「えっ?」

A君「昨日よく分かった」

私 「そうか?」

A君「これから仲良くやろう」

私 「・・・お、おう」

訳も分からないまま、私たちは友達になりました。

うそのような本当の話です。

 

後になって分かった話ですが、

A君も人とケンカをした事がなかったらしい。

だけど、幼稚園の頃から顔が怖い、スポーツが出来たため、

図らずもガキ大将的なポジションになっていた。

小学校に入って東京からケンカの強いやつが来たことを聞いて、

このままでは自分の立場が危ないと危機感があったらしい。。。

 

どうですか、、

私が怯えていたこの1か月ほどの時間は一体何だったのか?

虚勢をはらなければこんな思いはしなくてすんだのに。。。

 

それからの私は無駄に虚勢を張ることをやめました。

ケンカのないところで生きて行こうと決めました。

ガキ大将になる事もやめよう。

 

と思っていました。

けど、一度その経験をしても転校というイベントはまた違う状況を運んできました。

続きは、、、また時間がある時にでも書こうと思います。

 

今日も”なんくるないさ~”

 

※注:これは事実に基づいた私自身の昔話です。

多かれ少なかれ転校という同じ経験をした事がある方へ向けて書いてます。

特定地域、特定個人の事を個人的に批判するものではない事ご理解下さい。

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