こんにちは内弁慶サラリーマンなんくるナイトです。

朝晩はすっかり冷え込みコートが手放せない季節になってきました。

また今年も冬がやってくるんですね。

 

さて、以前に私自身の小学生時代の転校話を書きました。

内弁慶とは少しそれた内容でしたが、私も過去を振り返りながら

「そんな事あったなぁ。。」

「あの時辛かったなぁ。。」

と、遠い昔へ思いを巡らせ甘酸っぱい思いに浸りました。

 

今回はその続編。

小学生時代に直面した“2回目の転校をどう乗り越えたのか⁉”について書いてみたいと思います。

 

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その日は突然に

前回、小学校入学前のタイミングで両親の故郷沖縄へ転校した時の事について触れました。

いわゆる大都会(東京)から地方(沖縄)へ転校した事で今では赤面ものの苦い経験でしたね。

それから1、2年後、

中学年を過ぎる頃にはすっかり沖縄の生活に馴染む様になっていました。

 

それは何故か?

改めて振り返ってみると、、

1.時が経つにつれ私が転校生だった事を次第にみんなが完全に忘れていく

2.幼稚園・保育園時代の思い出がどんどん失われ、小学校の思い出に塗り替えられていく

3.方言を使いこなすようになっていく

きっとこれなんでしょうね。

 

考えてみれば転校当初は”都会から来たやつ”という事で、

物珍しくみんなも私に興味津々かもしれませんが、

その後1年も2年も経って

「こいつは俺と違う環境で生きてきた奴だ、自分とは違う幼稚園に通ってた奴だ」

なんて考える人は誰もいませんよね。

 

それは当の本人も一緒で、

「俺は転校生だ、みんなとは違うんだ」

なんて意識する事はまずなくなっていたような気がします。

 

ましてや、ある程度方言をマスターして同じ言葉を喋り、同じ時間を過ごしていく中では

その考え自体がナンセンスだった気がします。

そういう意味でも、やはり言葉というのは大事なものですね。

 

さて、そんなこんなで小学校4年生。

両想いの(だと信じていた)子も出来て、楽しい学校生活をしていたある日の夜、

家族で食卓を囲んでいると、

父から衝撃の一言、

 

「転勤で大阪に行く事になった」

 

 

え。。。

突然のことに言葉を失います。

転校を一度経験しているからといって、もう一回同じ目にあうことに対しては抵抗感しかありません。

せっかく、環境に慣れたのに、

せっかく、友達が出来たのに

せっかく、言葉を使えるようになったのに

せっかく、、、、

転校当時の嫌な思い出がどんどん頭に浮かんできて気が付いたら涙を流していました。

 

「なんで。。。」

やっぱり”自分が人見知りである”、という忘れていた事実を否が応にも思い起こさせられます。

すぐには承諾する事が出来ず、

「何で転勤の多い仕事をしてるの?」

「1人で行けばいいじゃないか!」

今から考えればひどい言葉を父に投げつけたんだと思います。。。

 

それでも父と母から

「家族はどんな時でも一緒にいた方がいい。」

「今は分からなくてもきっと分かってくれる日が来るから。」

と何度も諭され、5年生になる直前の春、2回目の転校を受け入れる事になりました。

 

2回目の転校(大阪編)

そして迎えた2度目の転校。

次の舞台は大阪。

そう、食い倒れの街です。

喋る言葉も違います。文化も東京、沖縄とは全く違います。

しかも小学校入学と重なった前回と違い、今回は小学5年生から。

完全なる転校生です。

ハードルはあの時よりも間違いなく上がっています。

 

さぁ、どうする俺。

とりあえず前回の経験から、心に決めた事を整理してみる。

 

1.言葉を覚える

2.目立ちすぎない

3、ガキ大将にならない

     

    、、、こんなんが本当に役に立つのか?

    4年生(もうすぐ5年生だが)が考える事なんてたかが知れてます。

     

    ただ、時は待ってはくれません。

    心の準備もできないまま、あっと言う間に始業式の日を迎えます。

    始業式を終え、列の後方を辿りながら誰も知らない教室へ。

    朝礼が始まります。

     

    担任「今日は皆さんに新しいお友達を紹介します。」

    私 「(来たっ)」

    担任「なんくる君、前に来て下さい。」

    私 「はい。」

    担任「では自己紹介をお願いします。」

    私 「はい、、、なんくるです。よろしくおねがいします。」

     

    しばし沈黙の後、教室のどこからか、、、

    「どこから来たん?」

    の声。

     

    私 「沖縄からきました。」

    恥ずかしさを覚える気持ちを抑えながら答える自分。

     

    次の瞬間、

    「お~!!まじで!!めっちゃすごいやん!!!」

    「沖縄のどこー?」

    「沖縄の言葉しゃべってーやー!」

     

    、、、、、完全に目立ってる。

     

    気の利いた事なんて言えるはずもなく、赤面した状態で席に戻ります。

    周りから好奇の視線が突き刺さる。

    目立ちたくないのに。。

    静かにみんなと一緒に普通の生活をしたいだけなのに。。。

     

    私は最初の段階で早くもつまづく事になりました。。。

     

    けど、どうなんでしょう。

    考えてもみて下さい。

     

    逆の立場になった時、みなさんならどうですか!?

     

    新しくクラスメートになった子。

    その子が自分と全く違う地方から来たなら。。。

    違う言葉を話していたら。。。

    興味を示さない方がおかしいですよね。

     

    そう、みんな悪意がある訳ではないんです。

    ただ、違う環境で生きてきた人と色々と話をしたいだけなんです。

    興味があるだけなんです。

    それに気づくのには私はまだ若すぎました。

    そして繊細過ぎました。。

     

    結局、転校してからしばらくの間、上手く立ち回れない私はみんなの好奇の目にさらされます。

    普通に校庭を歩いてる時でも、他のクラスの子から名前を呼ばれておちょくられます。

    生意気な奴が沖縄から来たらしいという事で、休み時間に先輩からも、

    「お前、あんま調子に乗んなよ!」

    とすごまれます。

     

    体育の時間に一生懸命ドッヂボールしてても、水泳をしてても何故か目立ってしまいます。

    (水泳はスクールに通っていて人並み以上に泳げたことが原因ですが。。。)

     

    暫くして、私は思いました。

     

    “自分を大きく見せるのはやめよう“

     

    と。

     

    「周りに認められたいから、自分を大きく見せようとして目立ってしまうんだ。」

    「周りに責められないようにしょうとするから、それが見る人によっては突っ張ってるように見えるんだ。」

     

    と。

     

    確かに、沖縄の時もそう、

    大阪に来てからもそう、

    自分が責められないように、本当の自分以上の姿を見せようと思って、

    張り切って、突っ張っていたんだと思います。

     

    それは何故か。

     

    転校生は自分から動かないと誰も相手にしてくれないと思ってたからです。

    誰も話しかけてくれない、

    誰も遊びに誘ってくれない

    ずっと一人ぼっちだと思ってたからです。

     

    もちろんそんなケースもあります。

    全てがそうではないと言い切れません。

     

    だけど、周りを見てみて下さい、

     

    そんな事はないですよね。

    確かに始めは友達は誰もいないかもしれません。

    1人の時間も多いかもしれません。

     

    だけど、きっと近くには

    ”一生懸命仲間に入れてあげよう”

    ”クラスに馴染む様に話かけてあげよう”

    っていう子がいますよね!?

     

    問題はそういう子たちに対しての自分の気持ちの持ちようなんです。

    私はそうやって好意で近づいて来てくれる子達ですら選んでいる事に気付いたんです。

     

    この子は自分にとってこれからどういう存在になるのか?

    自分の立場をいいところにもっていってくれるのか?

    それが分かるまでは自分から心を開くのはやめよう。

    自分の仲良しグループを作るのはそれからにしよう。

     

    などなど。

     

    けど、、、大切な事はそんなことではなく、

    自分を少しでも助けてあげようする人たちが話しかけやすいような環境を作ることが大事なんです。

     

    肩肘張って、突っ張っていませんか?

    自分で自分の殻を作っていませんか?

    周りによく思われたいと思っていませんか?

    自分の立ち位置を自分の力ではなく、周りの人に頼って安全な場所へ持っていこうと思っていませんか?

     

    そんなものは意味がないんです。

     

    いや、一人でも生きていけるという強い心をもっている人ならそうではないかもしれません。

    けど、そんな人は少ないでしょう。

     

    人は一人では生きていけません。

    特に学生時代はそうでしょう。

     

    私はこの転校を機に、それまで自分が虚勢を張って生きてきたことにようやく気付きました。

    本当の自分とは違う自分を見せる事で、自分が傷つく事から逃げている事に気付きました。

     

    それは逆に自分をどう見せるかしか考えてなかったのでしょう。

    要は自分の事しか考えてなかったんです。

     

    それから私は、

    自分の気持ちより人の気持ちを優先する様に心がけるようになりました。

    周りの人に対しても”自分にとってのみんな”ではなく、“みんなにとっての自分”と考えるようになりました。

     

    その考えを持ってからは、自分の立ち位置が明確になりました。

    中学に入っても、高校に入っても、そして社会に出てもそのスタンスは変わっていません。

     

    特にラグビー、野球、サッカーのような集団スポーツにおいては、個人プレーよりもチームプレー。

    営業の仕事においては、自分の気持ちよりもまずはお客様の立場になってものを考える事。

    この考え方は今の自分にとって本当に重要な要素になっています。

     

    チームプレーに徹する事によって周りからの信頼を得る事が出来る。

    お客さんの求めている事を知ることで自分が何をやらなければいけないのかが見えてくる。

     

    そこにケンカの強さなんて関係ないんです。

    どういう人間と仲がいいかなんて関係ないんです。

     

    自分が転校生として自分と向き合う機会がなければ

    そうやって自分を客観的に見る事は出来なかったのかもしれません。

     

    私のように転校を繰り返している人はきっと、

     

    幼なじみという存在はいない。

    故郷がどこかも分からない。

    ”お好み焼きにはご飯”の文化も分からない。

    ”ノリ突っ込み”もいまいち分からない。

    うちなーんちゅ(沖縄の人)は・・・

    大阪人は・・・

    と言われてもどちらもピンとこない。

     

    けどそんな枠にはまる必要はきっとないんだと思います。

    大事なのは、、、

    ”周りから自分がどう見られるか”ではなく、

    ”周りの人にとって自分はどういう存在でいられるか”

    だと思います。

     

    今は”友人”と言える人が多くいます。

    中学校で出会った人も、高校・大学で出会った人も、社会に出てから出会った人も

    みんなかけがえのない存在です。

    そして仕事も楽しくやっています。(と自信を持って言えるかは別として。。。)

     

    転校を経験したことで、間違いなく視野は広がり、精神的も鍛えられ、人間として大きく成長する事が出来ました。

    当然そこには決して孤独を感じないように暖かく接してくれた両親の愛情があった事は言うまでもありません。

    今なら、転向が決まった時に言ってくれた、

    「今は分からなくてもきっと分かってくれる日が来るから。」

    という言葉の意味が理解できますし、これまでサポートし続けてくれた両親には感謝の思いでいっぱいです。

     

    転校とは「決してマイナスなことばかりではない」と胸を張って言えます。

     

     

    ただ、今の問題は、、、

    ・”自分の人生”をしっかり生きているのか、それとも”他人の中に存在する自分”を生きているのか、その線引きが難しい事。

    ⇒本当の自分ではなく”周りから見られている自分”の人生を生きている気がするため

     

    私のベースとなっている考え方が”世間体”という枠組みを出る事を妨げている事。

    ⇒”世間の感覚、考え方”を重視しすぎるため

     

    世間からどう見られようが自分を貫くことがなかなかできない事。

    ⇒周りの意見と同調することが協調性だと考えすぎているため

     

    よく言えば”常識人”、悪く言えば”型にはまってつまらない人”。

    これが今の自分の課題です。

     

    目指すべきは、

    自己中心的にならず、

    世間の中の自分でありながら、

    自分と家族のための人生を生きること。

     

    この答えが見つかった時、

    ”世間体からの脱却”という新たな道が見えてくるような気がします。

     

    とりとめのない、そしてまとまらない内容となってしまい申し訳ございません。

    直接の手助けにはならないかもしれませんが、

    私の拙い経験が同じ境遇で悩んでいる人たちにとって、

    ほんの僅かでも今を生きる勇気と活力となってくれることを願います。

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