三国志2

こんにちはなんくるナイトです。

前回、”勝手にランキング”と題して横山光輝三国志の好きな猛将ランキングをご紹介させて頂きました。

参考:【三国志マニア集まれ!】勝手にランキング 好きな武将1位は誰だ ~猛将編~

今回は続編として戦場で先頭に立って兵士たちを指揮する大将というより、

どちらかというと国の内部で政治、経済、戦略を司るいわゆる政治家、軍略家の勝手なランキングをご紹介したいと思います。

みなさん前回に引き続き最後までお付き合い下さい。

 

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国力充実には欠かせない知将・智将

戦場で戦う事を生業とする武官に比べ、文官は先述の通り、どちらかと言うと政治家的役割が求められるポジションです。

 

いくら勇猛な武将がいても、一人で戦う事は出来ませんので、武将、兵士を組織的に動かす事の戦術、戦略が必要になります。

そして、戦術、戦略を駆使して戦に勝ったとしても、国を自分たちの手に治めるためには組織の中で、法を司ったり内政を行う政治家が必要不可欠です。

 

三国志は国取り合戦ですので、どうしても第一線で働く武官の方に目が行きがちですが、

特に三国志中期~後期においては文官が国力充実、国家平定においていかに重要な役割を担ったのかが分かります。

 

文官の種類

 

さて、文官と言ってもその役割は多岐に亘ります。

下にいくつか例を挙げてみましょう。

 

丞相:非常設で天使を助けて国政全般を執り仕切る最高執政官。

大司馬:兵事考査を行い1年ごとに戦績などを調停に報告し賞罰を行う。

司空 :国家規模の土木工事を司る

司徒 :人民、民事全般を担当する

 

大司馬、司空、司徒、この3つの役職を“三公”といい文官の中でも最高位に位置します。

平常時にはこの三公が国の政治のメインの役割を担う形になっています。

その下には“九卿“と言われるさらに細かい役職に分かれます。

 

日本でいう厚生労働省大臣、農林水産省、国土交通省など

政府機関に類する役職、組織が既にこの時代にはあったという事なんですね。

 

一般的に武将と言われる中にも武官と文官、

そして文官の中にもこれだけの役職があったという事です。

これも非常に興味深い事実ですね。

 

軍師とは

 

では諸葛亮孔明、司馬懿仲達など“軍師”と言われた彼らは武官なのか文官なのかどっちなんでしょうか?

私もはっきりとした答えが分からないのでウィキってみました。

軍師(ぐんし)とは

軍中において、軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける職務を務める者のことである。

(出典:Wikipedia)

軍の戦略面での指揮を司るという事ですので、どうやら文官の類には入らない役職ですね。

さらに調べてみると諸葛亮が務めた“軍師中郞将”、“軍師”というのは共に武官・軍官の役職のため、彼らは文官ではなく関羽・趙雲のような武官に属する形となります。

 

ただ、今回のランキングは知将・智将編という事なので、武官、文官の違いは深く考えず知力で国を支えた武将という事で展開してみたいと思います。

 

それでは行ってみましょう。

題して、、、

 

好きな三国志武将は誰だ!智将編 ~この人になら騙されてもいい~

第5位

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法正

第5位は法正です。

劉備による蜀建国の功労者の一人と言えるでしょう。

法正は元々劉璋に仕えていましたが、

素晴らしい才能を持っていながら重宝されることはありませんでした。

それにより劉璋に対し「大きなことを為す器ではない」と見限り、

張松、猛達と共謀し劉備を成都へ迎え入れる事を決意しました。

 

劉璋配下の武将による計らいもあり、結果的に劉備は多くの血を流すことなく、益州を攻略、蜀建国の礎を作る事に成功しました。

”漢王朝の復興、天下万民の救済”に立ち上がってから、ひたすら流浪を続けた劉備がついに悲願の自軍拠点を得た、

そしてこの瞬間が孔明が画策した”天下三分の計”が完成した瞬間でした。

 

法正の行為は主君を裏切る行為ではありますが、人徳があり、仁政を敷くと評判な劉備を迎え入れる事で、一時的だとしても益州の民の救済に繋がった、そして結果的に天下三分の計により国力の充実に繋がりました。

先見の明があったという事でしょう。

 

また、魏による関中攻略に対して、軍師として従軍し、定軍山の戦いにおいて自らの策略で鮮やかに魏の猛将夏侯淵を討ち取る事にも成功しました。

蜀草創期の法正の役割は非常に大きかったと思います。

出来ればもう少し活躍を見てみたかったところですね。

 

さぁ、次行きましょう!

 

第4位

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呂蒙

第4位は呉の名将呂蒙です。

 

呂蒙と言えば何といっても”蜀の名将関羽を打ち破った武将”として有名です。

彼は武力も去ることながらその智略も目を見張るものがありました。

荊州攻略において魏と同盟を組む事を自国の君主孫権に受け入れさせたこと、

当時無名だった陸遜を抜擢し陸口を守らせ関羽を油断させたこと、

陸遜に油断して魏の樊城を攻め込んだ関羽の隙を突き難攻不落の荊州をあっさり攻略したこと、

そして自軍による略奪を制止し、荊州の民を一瞬にして心服させたこと、

先見の明、人心掌握術そして政治力を併せ持つ人物です。

 

しかも呂蒙はその昔兵法に関しては全くの無知な人物だったといいます。

そこから一生懸命努力をし、三国志を代表する知将と呼ばれるまでに成長した努力の人でもあります。

 

まぁ蜀ファンの私としては英雄関羽を敗北に追いやったにっくき武将ですが、

智謀の鮮やかさ、そして民を大切にする心において、三国志を代表する知将に選出します。

 

そして次は

 

第3位

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魯粛

第3位は魯粛です!

意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

なぜなら魯粛は智略を存分に使って、戦場で活躍した軍師タイプの武将ではなく、どちらかと言うと外交の場で活躍した文官のイメージが強いからです。

ただ、私がそんな彼をこのランキングに入れたのは、、、

ずばり「癒し」です。

 

見た目もいい雰囲気を醸し出してますよね~。

描かれ方としては孔明に翻弄されるお人好しキャラですが、智略、計略、謀略入り混じる三国志の世界において、

彼ほど戦を好まず、外交の力で局面を打開しようとした武将はいないのではないでしょうか。

 

かの有名な”赤壁の戦い”において、世紀の呉蜀同盟成立の立役者は他ならぬ彼です。

(もちろん、呉での孔明の大立回りもありますが。。。)

 

横山光輝三国志では孔明と周瑜の間で右往左往するどこかかわいそうなキャラとして描かれていますが、

正史の魯粛は孔明よりも前に”天下三分の計”を謳うなど極めて優秀な戦略家としての一面の方が強いそうです。

そんな力を持っていながらどこか憎めない癒し系キャラとして活躍した魯粛はどうしてもランキングに入れたかった武将の一人です。

 

さぁ残るは2人になってきましたね。

そろそろ答えが見えてきましたでしょうか。

 

では行きます。

 

第2位

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徐庶

第2位は悲劇の智将徐庶です。

やはりこの人は入れなければいけないですね。

徐庶はその当時拠点を持たず流浪を続け、そして関羽、張飛、趙雲と猛将には事欠かないながらも、智将不在で行きあたりばったりの戦を続けていた劉備の前に現れた待望の”軍師”でした。

それまでの劉備は軍師という存在を持たず人を助けるために戦に参加したり、

自分達が攻められるから対抗して戦うといったようないわゆる”受けの戦”しかしてきませんでしたが、

この徐庶が配下に加わった事により、広義で”戦の意味”を劉備に植え付けた存在だと言えます。

活躍の場が少なかった徐庶ですが、軍師デビュー戦となった”新野での攻防戦は鮮烈でした。

兵法にも精通している魏の名将曹仁、そしてこちらも文武両方に秀でる李典を相手に見事なまでの智謀と戦略で劉備軍の猛将達を自由自在に操り、魏軍を完膚なきまでに叩きのめしたのです。

これは”横山光輝三国志”の20巻に出てくるシーンですが、これまでの物語の中でここまで戦が戦略的に描かれ見ていて痛快なシーンはありませんでした。

ここから孔明、鳳統、司馬懿などの軍師が三国志の舞台を席巻し、戦の形が変わっていくのですが、まさに徐庶はその先駆け的な存在として描かれています。

 

徐庶を手に入れるために実母を人質にとった曹操、

母と偽って偽の手紙を徐庶に送って劉備と離別させた程昱、

そして、君主劉備を捨てて自分の下に駆け付けた徐庶へ失望して命を絶った母、

その後に徐庶を待ち受けていた運命は過酷であり悲劇そのものです。

とてももう一度読み返したいと思う内容ではありません。

 

それでも徐庶は、自分の体は曹操の下にあっても、心はいつも劉備のそばにありました。

決して曹操に対して自分の策を語ろうとはせず、表舞台から消えていくのです。

おそらく徐庶が最後に登場する”赤壁の戦い”において、鳳統渾身の”連環の計”を見破った徐庶が鳳統に語りかけた言葉。

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なんて素敵なんでしょうか。

恩義があるとは言え男としてここまで人のために尽くし、信じる事が出来る徐庶の生き方は

理不尽に耐え、不遇とストレスに頭を抱える私のようなサラリーマンにとっては、何とも眩しく羨ましく映ります。

この人が劉備の下でもっと活躍してくれていたなら蜀の運命も、、、

今でもついそんな考えをもってしまいます。

徐庶の活躍は60巻の物語の中では短いものでしたが、私の大好きな”義理・人情”の人間として強烈な印象を残しました。

2位に入れるにはこれだけで十分ですね。

 

さぁ、今回もここまで私の主観にお付き合いを頂きありがとうございます。

残るは1人となりました。

これまでの傾向からもうお分かりですよね。

 

それでは第1位の発表です!

第1位は!

 

第1位

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諸葛亮孔明

 

栄えある1位は三国志史上最高にして最強の軍師諸葛亮孔明です。

もうこの人に言葉はいらないでしょう。

風貌と頭はクール、それでも心は万民救済に燃え、信じる者のために命を燃やす。

こんな格好いい男はいません。

蜀の晩年、建国の中心人物であった劉備、関羽、張飛、趙雲を失った後、一人で蜀を支えた人物は彼です。

しかも自分が君主になろうなどの野望や私利私欲を決して持たず、最後まで亡き劉備の意を汲み、跡継ぎ劉禅を盛り立て、支えとなってその人生を全うしました。

死を目前とした劉備が最後に枕元で孔明にかけた言葉そしてそれに答えた孔明のやり取りが感動的です。

劉備「劉禅が帝たる天質を備えているものならば助けてやってもらいたい。

しかし帝王の器でないときは丞相、君は自ら蜀の帝となって万民を治めてもらいたいのじゃ」

孔明「私はなんとしても尽力をつくし、忠貞の節をつくすつもりです。」

三国志で一番心を揺さぶられる場面です。

劉備の孔明に対する肉親以上の信頼、孔明の劉備に対する真の忠節。

これが”男と男の約束”というものでしょう。

”男が男に惚れる”そしてその男のために命を投げ打つ。

これは私の生きる指針となっており、どちらの立場になるかは置いといて、こんな生き方をしてみたいと切に思います。

そして、孔明はこの時に劉備と交わした約束を死ぬまで守り抜いたのです。

 

、、、しかし、劉備という大きな後ろ盾を失った後の孔明の孤軍奮闘ぶりは、どこか蜀滅亡への悲壮感を漂わせており、読むのが辛いものがありました。

それでも自身が生きているうちは、あの魏の名軍師司馬懿仲達に対しても決して蜀を明け渡すことなく、

劉備亡き後の蜀を必死で守り抜き、死後もその威光は生き続けました。

死せる孔明生ける仲達を走らす

何度でも読み返したい痛快かつ悲壮なシーンです。

まとめ

第1位 諸葛亮孔明(蜀)

第2位 徐庶(蜀)

第3位 魯粛(呉)

第4位 呂蒙(呉)

第5位 法正(蜀)

 

最終的な順位はこのような形になりました。

蜀からは最多の3名、呉から2名そして魏からは0名。

魏も入れようと思ったのですが、智将という点では

どうしても悪役として描かれている人物ばかりでどうにも挙げられませんでした。。。

 

さて、2回にわたって好きな武将ランキングを書いてみました。

いやいや、関羽や張飛は?曹操、孫権もいるのに。

そもそも王道のメンバーじゃない!?

色んな声があるかもしれません。

これは完全に私の主観で選んだランキングです。

皆さんには皆さんのランキングが当然ある事でしょう。

横山光輝三国志は男のロマンと生き様を約1000人の登場人物を通して描かれています。

こんな大人になりたい。

こんな人生を送りたい。

大人になった今でも色々な事を私たちの心に投げかけてきてくれます。

 

なんくるナイトはこれからも三国志を追いかけ、

かっこいい生き様を見せられるような大人になれるよう頑張ります。

ってその前に内弁慶の脱却が先か。。。

もしお時間ありましたら...是非!👇

 

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