大阪桐蔭の初優勝で幕を閉じた今年の花園。
高校ラグビーも年々レベルが上がり、決勝戦はお互いにキックを最小限にして攻め合いながら、ペナルティをしない規律のあるディフェンスでしっかり守りあうという激戦でした。
最終盤の桐蔭学園の猛攻を大阪桐蔭CTB高本選手が強烈なタックルで落球を誘い、それがノーサイドにつながったシーンがこの試合を象徴していたと思います。
本当に熱い試合でした。
大阪桐蔭には初優勝おめでとう!
そして桐蔭学園には感動をありがとう!
と言いたいですね。
さて、そんな両校ですが各メディアでこぞって”桐蔭対決”と言われるように、名前が似通っている事はあまりに有名です。
「兄弟校なのでは⁉」
という声も多く聞かれますが(実際私もそうなのかな、と思っていた)、実際はどうなのか⁉
今回は"花園番外編"として両校の事を調べてみようと思います。
目次
両校の沿革
それではまず同校の成り立ちから見ていきましょう。
桐蔭学園
1964年(昭和39年)に、「公教育ではできない、私立ならではの教育」をスローガンに「学校法人桐蔭学園」が設立され、同時に高校を開校する。
1965年に工業高等専門学校(男子校)を開校(1991年閉校)、1966年に中学校、翌年1967年に小学部、1969年には幼稚部(2年保育)を設立。
設立当初から能力(学力)別クラス編成により、能力別の授業を行っている。
2018年度より高校はコース制、男女共学へと変更した。
医学部進学を目標とするプログレスコース・難関国公立大学進学を目標とするアドバンスコース・難関私立大学進学を目標とするスタンダードコースの3つがある。
所在地:神奈川県横浜市青葉区鉄町1614番地
大阪桐蔭
1980年代の高校生急増期を前に、大阪府と大阪府私立中学校高等学校連合会が協議をおこない、高校生の受け入れ対策として「1983・1984年度には、私立学校も募集定員を増やす」方向での合意が1979年(昭和54年)に成立した。
大阪府私立中学校高等学校連合会は合意を受け、大阪府内の私立高校へ募集定員増加を検討するよう要請。
「学校法人大阪産業大学」は要請を受け、大阪産業大学高等学校の募集定員を増加することを検討した。しかし大阪産業大学高等学校は新規受け入れの余裕がないとして、キャンパスにやや余裕があった大阪産業大学の敷地の一部を転用する形で、大阪産業大学高等学校の分校を設置することを決めた。
そして1983年(昭和58年)4月に大阪府の生徒急増期に対応する形で「大阪産業大学高等学校大東校舎」として開校。
しかし開校後、分校卒業生や保護者など関係者から学校の独立校化を求める声が強まり、1988年に「大阪桐蔭高等学校」として独立した。
1995年には大阪桐蔭中学校を併設。
難関国立大学・難関私立大学を目指す「Ⅰ類」、国公立大学・難関私立大学を目指す「Ⅱ類」、一般入試に加えてスポーツ推薦やAO入試を利用して有名大学を目指す「Ⅲ類」と3つのコースに分かれている。
所在地:大阪府大東市中垣内3丁目1番1号
(情報元は共にWikipediaより)
そもそも兄弟校とは⁉
Wikipediaには以下のように書いてあります。
学校の場合、その学校が男子校・女子校・共学校かは関係なく、同じ創設者や学校法人の場合は「兄弟校」といい、姉妹校連携として友好関係を行なっている場合は「姉妹校」という。
一例として東海大仰星、東海大相模などの東海大系列、日大三、佐野日大などの日大系列は「兄弟校」の分類に入ります。
参考までに、それ以外の兄弟校として主なところを見ていきましょう。
【日本の主な兄弟校】
<学校法人早稲田大学>
早稲田大学高等学院(東京)
早稲田大学本庄高等学院(埼玉)
※早稲田実(東京)、早稲田佐賀(佐賀)、早稲田摂陵(大阪)などは別法人の運営であり”系属校”の位置づけ
<学校法人明治大学>
明治大学が設定する高校は明治大学付属明治高等学校(東京)のみ。
ラグビーでも有名な明大中野(東京)、明大中野八王子(東京)は「学校法人中野学園」が運営。
従い、中野学園運営のこの2校は兄弟校の位置づけとなります。
<学校法人慶應義塾>
慶應義塾高校(神奈川)
慶應義塾志木高校(埼玉)
<ラ・サール会>
ラサール学園高校(鹿児島)
函館ラ・サール学園高校(北海道)
<学校法人智辯学園>
智辯学園高校(奈良)
智辯学園和歌山高校(和歌山)
<学校法人川島学園>
鹿児島実業高校(鹿児島)
れいめい高校(鹿児島)
尚志館高校(鹿児島)
<学校法人佐藤栄学園>
埼玉栄高校(埼玉)
花咲徳栄高校(埼玉)
運営母体が異なる
さて話が逸れてしまいましたが、両校の沿革で見たように、
桐蔭学園の運営母体は「学校法人桐蔭学園」、
大阪桐蔭の運営母体は「学校法人大阪産業大学」
です。
それぞれ独立した法人であり資本関係もない事から、両校は”兄弟校ではない”という事が分かります。
早くも結論が出てしまいましたね。。。
この両校の兄弟校という事で言えば、桐蔭学園はドイツにあった「ドイツ桐蔭学園」(2012年に閉校)、大阪桐蔭は「大阪産業大学附属高等学校」がそれに当たることになります。
余談ですが、大阪桐蔭は私が育った街と同じ学区内(当時は大阪第4学区)の大東市に所在しています。
私の通っていた高校とも距離が近く、高校3年時、自転車で”花園”を観戦(試合と言えないのが哀しいのですが...)に行く際は同校の前を通る道を利用していました。
その理由は同校のキャンパスに掛けられている横断幕を見るため。
それは、、、
”宮里優作 日本ジュニアゴルフ選手権優勝!”
当時大阪桐蔭へ在学していた宮里優作プロ。
アスリートレベルは違えど同じ大阪で頑張っている同郷の同級生。
それを見るのがとても誇らしかったからです。
同じ時代に近くの場所で全国区の活躍をされているその事実は、当時の私にとってとても励みになっていました。
プロ転向後は初優勝まで11年かかるなど苦労しながらも、その実績と人柄で日本プロゴルフ協会の選手会長まで務めた同選手。
昨年石川遼プロへそのバトンが渡されましたが、今後もいちプレイヤーとしてますますの活躍を期待したいと思います。
また、さらに余談ですが和歌山にある桐蔭高校。
この高校もかつては甲子園で2連覇(1921,1922年)するなど文武両道の古豪として知られる存在ですが、こちらは和歌山旧制中学の流れを汲む”公立校”であり、両校とは兄弟関係にはありません。
類似する校章
さて、
兄弟校ではないという事実が分かったところで終了。
と行きたいところですが、調べていく内にどうしても気になる事が出てきました。
それは、、、
校章です。
両校の校章をちょっと見てみてください。
あまりに似すぎていませんか⁉
なぜ⁉
という事で最後にこちらも調べてみました。
もう暫くお付き合い下さい。
桐紋とは
まず調べていく中で初めにこの校章は、”桐紋”と言われる紋章に由来している事が分かりました。
桐紋とは、、、
鳳凰が桐にとまり、声を上げると「聖王」が現れる…。中国にはこのような伝説があります。
鳳凰は桐にしかとまることはなく、竹の実しか食べることがないと言われていたため、「桐」「竹」は聖なる植物として日本でも扱われるようになり、そのイメージから「高貴な人間しか使うことはできない」とされたのです。
鎌倉時代になると、天皇の衣に描かれた桐がそのまま天皇家の御紋となり、「桐紋=天皇家」が定着します。(出典:お役立ち!季節の耳より情報局 )
という事で、桐紋とは
天皇家を象徴する紋章
であり、明治時代以降は日本政府が使用する紋章として使用されるなど由緒あるものである事が分かります。
”五七桐”と”五三桐”
桐紋の構成は基本3本の直立する花序と、3枚の葉から構成されているものです。
このようなもの👇
さらに桐紋には”五七桐”と”五三桐”と大きく分けて2つの種類が存在します。
【五七桐】
3枚の葉と花序につく花の数が"5-7-5"のもので、天皇家を象徴し桐紋の中でも最上位を意味する紋章。
”太閤”豊臣秀吉が家紋として利用していものとしても有名です。
日本政府もこの”五七桐”を紋章としているんですね。
【五三桐】
3枚の葉と花序につく花の数が"3-5-3"のもの
天皇から下賜される時に使用していたものと言われ、織田信長や足利尊氏が天皇から頂いたものはこの五三桐と言われています。
ではなぜ両校がこの由緒正しい紋章を校章として使用しているのでしょうか⁉
桐蔭学園校章の由来
桐蔭学園はHPに校章について下記の通り説明をしています。
桐蔭学園の校章は、五三の桐(ごさんのきり)です。歴代理事長の母校、旧制東京高等師範学校(現・筑波大学)の校章にちなんでいます。桐には、瑞鳥、鳳凰(ほうおう)が宿るとされています。
千里万里を天翔(あまかけ)る前に、鳳凰がその力を養うのが桐樹の蔭(かげ)です。緑の高台に陽光を浴びて白亜の校舎が点在し、その間に広がる広大なグラウンドは、まさに桐樹の蔭。学校創立以来、その「力」は年ごとに飛躍しており、鵬(おおとり)のひなは、この桐の蔭から次々と飛び立っています。
東京高等師範学校(現:筑波大)の校章が”五三桐”。
そして、桐蔭学園の創始者が同校の出身者で理念を引継ぐために、同じ型の校章を採用した。
これは納得です。
では大阪桐蔭の方はどうなんでしょうか⁉
大阪桐蔭校章の由来
同校は桐紋の最上位と言われる”五七桐”を採用しています。
ただ、HP上で特に校章についての説明はしていません。
一説には同校は設立にあたって桐蔭学園を参考にし、リスペクトの意味を込めてこの校章とした、とも言われています。
しかし、さすがにそれだけで校章を類似のものにするとは考えられないので、他にも理由があるのではないか⁉
色々調べてみた結果、そのヒントを校歌に見つけました。
👇は大阪桐蔭の校歌三番の歌詞です。
赤枠の部分。
”淀の川面の天守閣”
これはもちろん大阪城の天守閣でしょう。
そして
”今も輝く 桐の紋”
ここで"桐の紋"が出てきましたね。
大阪城と言えば豊臣秀吉、そして豊臣秀吉の桐の紋と言えば"五七桐”。
そして
”徴(しるし)を誇る 桐蔭高”
大阪桐蔭高はその桐紋を誇る学校だと意味しています。
これが”五七桐”を採用している理由と言えるのではないでしょうか。
納得出来る理由です。
、、、すいません、最後はいつの間にか校章の話に熱くなってしまいましたね...
最後に
桐蔭学園高校と大阪桐蔭高校。
同じ”桐蔭”という名を持ちながら、それぞれ運営する母体が異なる事から兄弟校ではないということが今回分かりました。
さらに設立の理由も
桐蔭学園は
”私学にしかできない、私学だからできる教育の実践を”、
大阪桐蔭は
”多くの受験生を受け入れたい、ただ校舎に余裕がないから分校を”
と成り立ちこそ全く違えど、現在ではどちらも中高一貫教育を施し、難関国公私立大へ多くの卒業生を送り込む進学校という側面を持ち、さらにラグビーだけでなく野球部やサッカー部などスポーツや部活動にも力を入れている部分は共通している部分です。
今年の桐蔭対決は大阪桐蔭に軍配が上がりましたが、それぞれ新チームでの活動はスタートしています。
来期以降も両校の熱いバトルを期待したいと思います。