先日NHK-BSで1987年に行われた伝説の名勝負『雪の早明戦』の再放送がありました。
土曜日の朝ということで、恐らく見た人も多かったことでしょう。
かくいう私自身もこれまでこの試合の存在は知りながらも、見たことがあるのはハイライトシーンのみ。
ラグビーファンを自負する身として恥ずかしながら、試合を通して観戦したのは今回が初めてのことでした。
ボールやジャージ、トライの点数やリフトのないラインアウトなど、時代を感じる点も多く見られましたが、実際、見ていて率直に思ったのは、
「名勝負は決して色褪せない」
「やはり早明戦は特別なもの」
ということ。
雪の中で全身から湯気を発しながら奮闘する選手達の姿に、改めてそれを実感させられました。
そこで今回は、雪の早明戦”初観戦記念”ということで、私がこれまで見てきた早明戦の中から
『これぞ名勝負!』
と言える5試合をランキング形式で紹介していきたいと思います。
注2:対象となる試合は対抗戦限定(大学選手権は別記事で取り上げる予定です)
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ラグビー早明戦”名勝負”5選
第5位 2018年度 『佐藤組』
2018年12月2日@秩父宮ラグビー場
早稲田 〇31-27● 明治
<出場選手>
早稲田 | 明治 | |||
---|---|---|---|---|
氏名 | 学年 | 氏名 | 学年 | |
1 | 鶴川達彦 | 4年 | 安昌豪 | 3年 |
2 | 峨家直也 | 4年 | 武井日向 | 3年 |
3 | 小林賢太 | 1年 | 祝原涼介 | 4年 |
4 | 中山 匠 | 3年 | 片倉康瑛 | 2年 |
5 | 下川甲嗣 | 2年 | 箸本龍雅 | 2年 |
6 | 柴田 徹 | 3年 | 石井洋介 | 3年 |
7 | 幸重 天 | 3年 | 井上遼 | 4年 |
8 | 丸尾崇真 | 2年 | 坂和樹 | 3年 |
9 | 齋藤直人 | 3年 | 福田健太 | 4年 |
10 | 岸岡智樹 | 3年 | 松尾将太郎 | 4年 |
11 | 古賀由教 | 2年 | 髙橋汰地 | 4年 |
12 | 中野将伍 | 3年 | 森勇登 | 2年 |
13 | 桑山淳生 | 3年 | 渡邉弐貴 | 4年 |
14 | 長田智希 | 1年 | 山村知也 | 3年 |
15 | 河瀬諒介 | 1年 | 雲山弘貴 | 1年 |
大学卒業⇒就職⇒転勤を経て14年ぶりに東京在住となった2018年度。
学生時代以来久々となる早明戦のLive観戦は、自身初の”秩父宮での早明戦”でした。(※2013年度まで国立競技場開催)
学生時代に通い慣れたはずの外苑前がこれまでとまるで違う雰囲気を醸し出す姿に、14年という歳月と”早明戦”の奥深さを改めて感じたことを思い出します。
『早稲田創部100周年』での復活Vが懸かったこの試合は、後半ラスト10分間の明治怒濤の追い上げに肝を冷やしながらも、最後は早稲田No.8丸尾崇真選手(当時2年・早実)渾身のジャッカルが炸裂し早稲田に軍配。
帝京大と同時優勝ながら、早稲田にとって8年ぶりとなる『対抗戦制覇』が決まった記念すべきゲームでした。
中でも印象的だったのは、この試合ラスト3分から途中出場したFL佐藤真吾主将(当時4年・本郷)。
このシーズンは前節の早慶戦含めなかなか出場機会に恵まれず、主将として悔しさ、不甲斐なさなど様々な葛藤もあったと思います。
それでも出場したわずか3分間へ全力を尽くし、試合後には主将として気丈に優勝インタビューに応える姿には本当に胸が熱くなりました。
この1年があったからこそ翌年の日本一がある。
苦悩しながらも前を向いて1年間チームを引っ張った佐藤主将には、心から「ありがとう。お疲れ様でした。」という言葉を贈りたいと思います。
またこの試合は、長らく覇権争いから遠ざかってきた伝統両校にとって、再び『早明2強時代』の到来を予感させる実力伯仲のハイレベルな戦いでもありました。
第4位 2000年度 『江原組』
2000年12月5日@国立競技場
早稲田 〇46-35● 明治
<出場選手>
早稲田 | 明治 | |||
---|---|---|---|---|
氏名 | 学年 | 氏名 | 学年 | |
1 | 安藤敬介 | 3年 | 石川賢太 | 4年 |
2 | 中村喜徳 | 4年 | 滝沢佳之 | 4年 |
3 | 水野敦之 | 4年 | 林 仰 | 1年 |
4 | 佐藤喬輔 | 3年 | 諸 成万 | 3年 |
5 | 脇 健太 | 4年 | 加藤 均 | 3年 |
6 | 小山陽平 | 4年 | 岸本拓也 | 2年 |
7 | 上村康太 | 2年 | 安藤雅巳 | 4年 |
8 | 江原和彦 | 4年 | 松原祐司 | 3年 |
9 | 田原耕太郎 | 3年 | 後藤和彦 | 4年 |
10 | 沼田一樹 | 3年 | 菅藤 心 | 2年 |
11 | 山下大悟 | 2年 | 陣川真也 | 1年 |
12 | 艶島悠介 | 4年 | 菱山 卓 | 4年 |
13 | 高野貴司 | 4年 | 神名茂樹 | 3年 |
14 | 西辻 勤 | 3年 | 森藤一馬 | 4年 |
15 | 山崎弘樹 | 4年 | 福田健太郎 | 4年 |
大学進学を機に大阪から上京した私にとって、初めての”早明戦Live観戦”となったのがこの試合。
初めて目にする国立競技場の広さと、客席を埋める大観衆に圧倒され、両チームとも多くの点数が入ったこと以外、この試合の内容は殆ど覚えていない、というのが正直なところ。。
ただ、私がラグビーを始めた高校1年生から浪人時代まで早明戦は4連敗(1996~1999年)と、明治に勝つイメージを全く持てないまま迎えた一戦での勝利に、言葉では言い表せないほどの昂揚感を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
当時、早明戦後に新宿コマ劇場前で行われていた『夜の早明戦』では、リベンジに燃える明治ファンの勢いに圧倒され、為す術も無く立ち尽くすのみだったことも今となってはいい思い出。
この翌年『清宮ワセダ』が誕生し、”ワセダ黄金期”の礎が築かれていくなどということは、この時まだ知る由もありませんでした。
第3位 1995年度 『小泉組』
1995年12月3日@国立競技場
早稲田 〇20-15● 明治
<出場選手>
早稲田 | 明治 | |
---|---|---|
1 | 石嶋照幸 | 満島史隆 |
2 | 猪谷一也 | 山岡 俊 |
3 | 山口吉博 | 中地嘉明 |
4 | 吉上耕平 | 鈴木健三 |
5 | 田中孝二 | 赤塚 隆 |
6 | 小泉和也 | 松本幸雄 |
7 | 池本信正 | 安藤裕樹 |
8 | 平田輝志 | 神鳥裕之 |
9 | 前田隆介 | 西田英樹 |
10 | 速水直樹 | 信野将人 |
11 | 永島茂樹 | 福田茂樹 |
12 | 石川安彦 | 文平龍太 |
13 | 青柳竜正 | 小川清功 |
14 | 山本 肇 | 山品博嗣 |
15 | 吉永雄一郎 | 山下太一 |
高校受験を目前に控えた中3の冬。
当時、高校でラグビーを始めることにいまいち踏ん切りがつかなかった私にとって、決定的な出来事となったのがこの試合でした。
13-15と早稲田敗色濃厚で迎えた後半ロスタイム。
早稲田陣ゴール前の相手ミスから始まったカウンターアタック。
”貴公子”SO速水直樹選手(当時2年)の華麗なるステップと絶妙なラストパス、そしてそれを受けたWTB山本肇選手(当時3年)の激走。
今振り返っても、その時の興奮が蘇ってきます。
帝京と日体大に敗れ、背水の陣で臨んでいたこの試合の早稲田。
このトライは苦戦が続いていたこのシーズンの早稲田へ快心の勝利をもたらせたのと同時に、私に忘れかけていたラグビーの感動と興奮をもう一度思い出させてくれるものでした。
この4ヶ月後、第1志望の公立高校でラグビー部の門戸を叩くことになりますが、もしこの試合がなければ受験日までのラスト2ヶ月の追い込みの時期、そしてその後の人生は全く違ったものになっていたことでしょう。
私の記憶する”早明戦初勝利”。
色々な意味で忘れることはできません。
第2位 1990年度 『堀越組』
1990年12月2日@国立競技場
早稲田 △24-24△ 明治
<出場選手>
早稲田 | 明治 | |
---|---|---|
1 | 小山義弘 | 佐藤 豪一 |
2 | 池田 晃久 | 西原 在日 |
3 | 佐藤 友重 | 飯塚 淳 |
4 | 小川 洋平 | 青木 聡史 |
5 | 今西 俊貴 | 坂元 勝彦 |
6 | 富野 永和 | 佐藤 久富 |
7 | 相良 南海夫 | 小村 淳 |
8 | 直江 恒洋 | 富岡 洋 |
9 | 堀越 正巳 | 永友 洋司 |
10 | 守屋 泰宏 | 松尾 雄介 |
11 | 増保 輝則 | 吉田 義人 |
12 | 吉雄 潤 | 元木 由記雄 |
13 | 石井 晃 | 岡安 倫明 |
14 | 郷田 正 | 丹羽 政彦 |
15 | 今泉 清 | 小杉山 英克 |
2位はやはりこの試合です。
”雪の早明戦”と並び伝説となっている、後半ラスト2分から12点差を追いついた早稲田奇跡の同点劇。
ラグビー好きだった父と一緒に初めて観たこの試合には、これまで経験したことのない感動と興奮がありました。
それは私にとって、2015年W杯の南アフリカ戦、そして、史上初の8強進出を決めた2019年W杯のスコットランド戦をも上回るものなのかもしれません。
この今泉清選手(当時4年・大分舞鶴)の激走トライは、この先もきっと忘れることはないでしょう。
確かに今振り返れば、
「もっと中央にトライできたのでは...」
「GKを決めたSO守屋選手ももっと賞賛されるべき...」
など、色々思うところはあります。
それでも、私のラグビー人生に最も大きな影響を与えてくれたのは後にも先にもこの試合、そして私の唯一無二のヒーローが今泉選手であることは今後も変わることはありません。
1990年度の早稲田は私の人生に大きなインパクトを与えてくれました。
第1位 1996年度 『中竹組』
1996年12月1日@国立競技場
早稲田 ●15-19〇 明治
<出場選手>
早稲田 | 明治 | |
---|---|---|
1 | 石嶋照幸 | 満島史隆 |
2 | 青野泰郎 | 山岡 俊 |
3 | 山口吉博 | 平田貴博 |
4 | 有水剛志 | 斎藤祐也 |
5 | 中西 聡 | 鈴木健三 |
6 | 吉上耕平 | 松本幸雄 |
7 | 中竹竜二 | 吉田大輔 |
8 | 平田輝志 | 神鳥裕之 |
9 | 前田隆介 | 田中澄憲 |
10 | 月田伸一 | 伊藤宏明 |
11 | 山崎勇気 | 山品博嗣 |
12 | 山本裕司 | 藤井 洋 |
13 | 永島茂樹 | 三輪幸補 |
14 | 山本 肇 | 福田茂樹 |
15 | 吉永雄一郎 | 森嶌正人 |
1位は今回私が選んだ5試合の内、唯一早稲田が敗れた試合。
ただ、『中竹組』を敬愛する私としては、やはりこの試合を外すわけにはいきません。
4年生までAチームでの出場経験のなかった苦労人・中竹竜二主将(元監督/現日本協会コーチングディレクター)が率いた1996年度。
実直で飾らないその人柄に導かれるように、多くの感動的ドラマを生み出したこの年は、北島忠治前監督を失い”黒襟のジャージ”に身を包んだ明治が、”高い壁”となって早稲田の前に立ちはだかった年でもありました。
やはり忘れられないのは、対抗戦、大学選手権決勝と2度にわたるペナルティトライ(認定トライ)での決着。
ラグビーを始めて1年足らずだった当時の私にとっては、ゴールラインを死守したまま奪われる”トライ”に納得がいかず、
「なぜこんなルールがあるのだろう。」
と、やりきれなさに鬱々とした気持ちが募っていたことを、20年以上経った今でも思い出します。
それでも救いだったのは、試合後、早稲田・中竹主将の敗戦を受入れる潔さと肩を落とす選手たちをいたわる姿、そして、勝利を喜びながらも早稲田へのリスペクトを決して失わなかった明治・松本幸雄主将の品位ある振る舞いでした。
そのコントラストはまさに、
『誇り高き勝者』と『美しき敗者』
両校を率いるリーダーの突出したキャプテンシー、情熱、そして知性と品格。
大学生とはここまで大人な存在なのかと、当時この両主将に対し強い憧憬を感じたことを今でも覚えています。
1番から15番まで選手のフルネームと出身校を言えるのは、後にも先にもこの『中竹組』だけ。
その1年間を紡いだ書籍『オールアウト』は、20年以上経った今でも私のバイブルの一つ。
敗れてもなお、心に生き続ける素晴らしいチームでした。
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